日本画家・水墨画家 石垣結城 石垣結城 日本画・水墨画Web個展
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花と地蔵
花と地蔵
晩年、お地蔵様の絵を描くようになった母。
描き始めた頃のお地蔵様の絵と、この絵の表情は随分と異なり、とても優しい顔になっている。
お地蔵様への想い

地蔵とは大地にしっかりと根をつけ、雨や風、雪や嵐に耐えて、人々が何らかの願いや祈りをこめ、
何かを 語りかけたくなるようなそんな思いを抱いているお地蔵さんに私は惹かれる。


お地蔵さんの姿はさまざまで、あるときは着物姿。和服スタイル。
母親の慈愛をこめたやさしさ、病気平穏・安産観音としての観音像など、やすらぎを与えてくれる。

地蔵の前世は女性であったといわれているところからも、すがりたくなるような慈悲の心をひめた地蔵も 多く、思わずお地蔵さんの前にいつまでもいたい気持ちになる。


長い長い闘病生活から得られたものは今私には尊い。
突然に自らが身体にしょってしまった病、完治しないという病気との闘い、また、病と友人にもなり、またこの病によって得られた心の交流、つらい病と見つめ合って、考えさせられることの多い日々に、お地蔵様を描いてみたくなった。


私なりの解釈の仕方で、人がこの絵を見て、思わず手を合わせたくなるような地蔵の絵を描いてみたいと思うようになった。この地蔵の絵は、私にとって、「病との出会いがすばらしかった」と言えるとしたら、このことが最終地点とでもいえるのかもしれない。


地蔵は皆、良い顔をしていて、美人のもの、愛らしい顔、あどけない顔、たくましい姿のもの、いろいろあるが、私の描く地蔵は、もしかして、未来の自分なのかもしれない。
やすらぎを求めた最終地点なのかもしれない。
複雑な気持ちを持ちながら、いつも描く地蔵は決まって赤帽子赤マフラーで赤い数珠を両手にかけ、顔はほとんどいつ描いても同じ顔になってしまう。


娘がこの地蔵さんおばあちゃんの顔(私の母)に似ているねと言った。そう言われてみると、確かに母に似ている。母の写真を見ながら描いているわけでもないし、似させようと思って描いているのでもない。
情念と言う言葉があるとすれば、それがそうさせているのかもしれない。







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